政治のはじまり
争いの歴史
それが人間の歴史です
人の本質とは実に愚かで強欲です
それ故、人間が生きていくためには、秩序が必要となります
その秩序をもたらし、維持させる作用
それが政治です
政治が始まったのはいつ頃なのでしょうか
政治をどのように捉えるかによっても変わってきますが
goo辞書によれば、政治とは
1 主権者が、領土・人民を治めること。まつりごと。
2 ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用。
とあります
ポイントは1の主権者にあります
主権者が仮に国王だとすれば、国王が国を治める行為は政治そのものです
国王自らが国の方針を定め、法を作り、人を裁く行為
善意な王により、善く治められる国もあれば、圧政に苦しむ国もあることでしょう
これらは事実、専制君主制、もしくは絶対王政と呼ばれ、歴史上にまぎれもなく存在していた制度です
主権者が領土や領民を治め、社会全体を統合するならばそれは立派な政治(善政、悪政に関わらず)であり、そのように捉えれば、政治はかなり古くから存在していると言えるでしょう
しかし、ここでいう政治は、主権者が国民など、グループ構成員一人一人にある場合の政治です
いわゆる民主主義に則った政治です
民主主義とは
民主主義(デモクラシー)とは、主権者が組織の最終決定権を持つという大前提に立ち、その主権者が組織の構成員1人1人であるということです
平たく言えば、主権者とは国民1人1人のことであり、国の最終意思決定は、国民全員の意見を持って行うということです
しかしながら、国民全員の意見を聞くというのは現実的ではありません
そのため、民主主義の決定方式には多数決の原理が採用されます
民主主義=多数決と考える人が多いのもそのためです
ただし、民主主義的に解決すると言っても、毎度毎度全国民の多数決を取るのも現実的ではありません
そのため、民主国家では議会制度を採用します
議会(国会の場合)は国民に選出された議員で構成されます
民主主義的国家の政治は、国民が選挙の際に
この人ならば、国政を任せられる
という議員候補や政党に投票することから始まるのです
私たちは、立候補者や政党が何をやろうとしているのかをよく吟味して投票しなければなりません
こうした民主主義に則った議会政治は、いつ頃から始まったのでしょうか
フランスから始まる民主主義的議会政治
議会政治が始まったのは、13世紀頃のイギリスです
しかし、議会参加は、一部の貴族に限定されるなど民主主義的な議会政治とは程遠いものでした
民主主義的な議会政治の端を発したのはフランスです
フランスは、長らく王による独裁政治、つまり専制君主制、絶対王政の時代が続いていました
議会という制度はあることはありましたが、ほとんど機能していませんでした
絶対王政下のフランスでは、国王の圧政に苦しめられ、民衆の怒りは頂点に達していました
フランスの絶対王政と言えばルイ14世が有名です
ベルサイユ宮殿は、絶対王政におけるフランスの象徴でもあります
フランスはことあるごとにイギリスと戦争を行なっていました
100年戦争なんてものもあったくらい、ほんと戦争ばかりしていたのです
そんなフランスに、美味しい話が転がりこんできます
イギリスから13の植民地が独立するため戦争が勃発したのです
この独立戦争はイギリス側が敗北し、13の植民地は自由を勝ち取りました
1776年、この自由を手に入れた13の植民地は結束し、アメリカ合衆国と名乗ります
そして、このアメリカの独立に支援したものがフランスだったのです
敵国であるイギリスの内戦は、フランスにとって非常に美味しい話だったので、積極的に支援したのです
ニューヨークの自由の女神像は、アメリカ独立の際にフランスから贈られた寄贈品です
パリの美女、パリジェンヌがモデルになっています
フランス革命と人権宣言
イギリスの敗北はフランスにとって非常に喜ばしいことでしたが、手放しで喜べる状態ではありませんでした
というのも、フランスがアメリカを支援するにあたり、多額の資金を費やしてしまったからです
独立戦争がきっかけで、すっかり疲弊したフランス国王のルイ16世は、国民に更なる課税をしていきます
そして、ここでルイ16世は最大の失態を犯します
本来、税金免除であった貴族や聖職者たちからも課税しようと企んだ結果、猛反発されました
元々重税に苦しめられていた平民も隆起し、国王に人権と身分差別の撤廃を認めさせようとしました
時は1789年、世に言うフランス革命の勃発です
こうして国王と国民が衝突し、国王軍は敗北します
国民は全ての人間の平等を説き、民主主義の基本原理となるフランス人権宣言を発表します
フランス革命、そしてフランス人権宣言により、やがてフランスには共和政と呼ばれる、大統領制に近い政治体制が誕生しました
こうしてフランスでは、民主主義に則った議会政治が始まります
しかし、当時のヨーロッパは絶対王政が主流の世界です
フランス共和政は、残念ながら強きフランスを維持することは出来ず、結局王政が復活してしまいます
有名な皇帝ナポレオンの登場です
民主主義的議会政治の礎を作ったフランス
しかしながら、それが根付くためには、まだまだ血を流さなくてはなりませんでした
日本の近代化
話は日本に飛びます
日本で民主主義的政治が始まったのはいつ頃でしょうか
日本では長らく鎖国が続き、やがてペリーの来航を皮切りに開国の気運が高まります
幕末の志士達の活躍により成った薩長同盟によって、徳川幕府は滅亡の道をたどります
約260年も国を閉ざしてきた代償は大きく、日本は近代国家から大きく取り残されてしまっていました
明治政府の急務は、諸外国と肩を並べることでした
弱小すぎる日本は、開国の折、諸外国と不平等条約を締結させられていました
外国からの輸入品に関税がかけられない、日本内で起きた外国人による犯罪を、日本人の手で裁けないなど異常な内容でした
しかし、当時の日本は弱小国が故、これら不平等条約の撤廃は夢のまた夢でした
強きものがルールが作る
これは今も昔も何ら変わらない真理です
そのような中、日本から海外視察団が派遣されます
岩倉使節団です
岩倉たちは、外国のけた違いの発展をまざまざと見せつけられました
たまたま岩倉使節団がドイツ(プロイセン)を訪れた時のことです
ドイツ(プロイセン)の宰相ビスマルクから衝撃の言葉を浴びせられます
日本よ、不平等条約を改正したいならば、ただ強くあれ
ペコペコ頭を下げて条約を改正してもらえるほど世の中は甘くありません
結局舐められたくなければ、強くなれよということです
他国と肩を並べるには、日本が強くなるしかない
ビスマルクの一言で、岩倉たちは日本がすべきことを理解したのです
岩倉使節団は帰国後すぐさま行動に移します
近代国家に肩を並べるために必要なこと
まずは、国会の開設と憲法の制定です
自由民権運動
岩倉使節団が帰国し、憲法制定の着手に乗り出そうとした伊藤博文らに対し、政府内の西郷隆盛や板垣退助らは征韓論を主張します
征韓論とは武力で朝鮮半島を開国させようという考えです
近代化を図るには、日本も外国と同様に植民地を持つべきだというのが西郷らの主張です
しかし、まずは憲法制定や国内を治めるのが優先だとする伊藤博文らによって、西郷らの征韓論は退けられてしまいます
西郷は故郷の鹿児島に退き、武士の誇りを賭け日本史上最後の内戦である西南戦争を起こします
しかし、近代兵器を持つ政府軍によって壊滅
西郷は自刃して果てました
西郷と共に政府に見切りをつけ土佐に戻った板垣は、武力ではなく言論によって政府に反抗します
内容は、国の大事は民主主義に則った議会政治を行い決定すべきだということです
そのための大前提である、国会の開設と選挙を実現するよう要望しました
当時の明治政府は、徳川幕府を滅亡させた立役者である薩摩、長州の両藩出身による藩閥(はんばつ)政治を行なっており、民主主義とは程遠い政治でした
ただ、約260年も続いた江戸幕府が滅び、急速な近代化を図るためには、ある程度強いリーダーシップを取り、強引に日本の今後の道筋を立てる必要性があったことは間違いありません
藩閥政治も、やむを得ない状況であったと思います
しかし、そのような中、真の民主主義を目指す運動が活発化していき自由民権運動として全国に広がっていったのです
全国的に盛り上がりを見せた自由民権運動のおかげで政府もとうとう国会開設の勅諭(ちょくゆ)を出し、10年後の国会開設を約束したのです
自由民権運動は、言論が初めて国を動かした歴史的な事件だったのです
日本初の国会
自由民権運動によって国会開設の約束をとりつけた板垣らは、来るべき選挙に備えて政党を結成します
板垣退助の自由党、大隈重信の立憲改進党などです
選挙とは言っても
年間で国に15円以上の税金を納める、満25歳以上の男子
という制限付きのものでした
ただ、それでも民主主義の第一歩を踏み出した歴史的出来事であることは間違いありません
こうして1889年に大日本帝国憲法公布、1890年に初の国会である帝国議会が開かれ、伊藤博文を初代内閣総理大臣として、近代国家のスタートラインに立てたのです
明治時代は主権が天皇であり、制限付きの選挙ではありましたが、日本の民主主義的政治はこうしてゆっくりと歩み出したのです
多くの犠牲の上に誕生した民主主義
いかがでしたか
いかにして民主主義的な政治が人類史にもたらされたか
私たちには当たり前と思っていることは、実は星の数ほどの人々の犠牲の上に成り立っているのです
今では当たり前にある選挙権
この選挙権を得るために、私たちの御先祖様たちは多くの血を流し、悔しい思いをし、戦ってきました
それはひとえに自分や子供たちが暮らすこの国を良くしたいという一心があったからです
こうして勝ち得た権利を無駄に放棄し、民主主義の機能を無駄にマヒさせてしまっているのはいかがなものでしょうか?
原因は誰でもなく、私自身でありあなた自身です
政治家が悪いのではありません
確かに自己保身ばかり考えている政治家が悪いのは明白ですが、最もな悪は、そのような政治家ばかりを蔓延させてしまった私たちです
選挙権を放棄し、組織票によって現状の大政党だけが勝ち残るという腐ったシステムを放任しているのは罪です
民主主義的政治という人類の知恵を、私たちの世代で潰してしまわないように気を付けたいものですね